前のブログでつらつら書いてみたけど、結局のところは「自分でどう考えるか」の問題だけなんだなって。
みんなただ表現してるだけに過ぎなくて。
それをどう捉えるかだけなんだよね。
光として考えてみると…。
その人がいたから、この体験が得られました。
臨場感溢れ、こんな感情が生まれました。
この感情はこういった価値観を持っていたからこそ、分かることが出来た素晴らしい出来事でした。
ということになる。
今、色々なことが起こっているようですが。
これもこの人間ゲームを「真剣に」楽しめるためのエンターテイメントとして考えると、すべての存在を抱きしめたいし握手をしたい。
それぐらい飽きさせないゲームの開発者が、実は大いなる「私」だったりもします。
難易度は人により様々です。
何故なら、今この瞬間に難易度を選択し続けているから…。
簡単にすることも出来ますし、高難易度にすることも可能なのがこの世。
甘い!楽しい!面白い!と思えば、本当に簡単になりますし、困った。難しい。怖い。辛い。となれば、難易度は上がる…。
それほど、この世界はシンプル。
自分自身の中を分断し続けるというのは、人に対して良い悪いを言ってることと同じで…。
醜いや嫌いな部分を見る・見えるというのは、それは私もそれを持っているから生じるものであると、そう分かれば、この分断する思考は溶けていくのでは?と思った。
本当は。
本当は、分断なんてしたくなくて。
すべての存在と手を繋いでいきたいのに。
すべてのものを均等して見れる目をなくした。
それは、子供の頃から続けてやって来てしまった判断癖。
これを少しずつ掃除していこうと。
その過程で登場してくれた光の存在へ感謝の気持ちを送りたい。
ありがとう。
そして役を演じてくれて感謝しています。
埃まみれになっている価値観をどんどんと表に出していく。
そう。過去と記憶の切り替え作業が、今の私のやりたいことだ。
過去と呼べるもの。
それは「今」の認識でいくらでも変えられる。
悪かったと思っていたことでも、捉える視点を変えれば全く違うものへと変貌する。
これが過去を変えられるってことじゃないかな?って。
ではでは!