gorod’s diary

楽天ブログに過去記事あります

記憶の再生という罠

今回は記憶ってなんだろ?という感じでダラダラと書いてみようかとw

 

そもそも人の記憶って曖昧ですよね。

自分ではこうだった!と言ってみると人によっては違った内容が返ってきたりしますよねw

で、最終的には有耶無耶になるというね。

 

これもそれぞれの宇宙を体験してるもんですから、見てる角度が全く異なるってことなんですよね。

更には感情も入るから尚更違った印象を受けたりするもんですし。

 

出来事は同じはずなのに、こうも捉え方が違うと記憶っていうのは…感情ありきのものとして保管してるんかなぁ?と感じるw

そして人は無意識に記憶を頼りにしがちですよね。

「前もこういう経験をしたから、今回も同じ経験になるでしょう」

と、判断材料として使いがちです。

 

でも、今回は全く違う展開になるのかもしれないのです。

だって、前と全く同じシチュエーションというのはあり得ないのだ。

あり得るとしたら、思考をずーーーっと変えずに生きているということになってしまいます。

しかし、生きてる限り思考は必ず変わっていくものなんだよね。

全然変わり映えしてないように思っていても、少しずつ変わってきてるもんなんですよ。

 

当時その体験をした時の感情と、今回体験する感情。これって変わるんですよね。

更にいうと毎瞬毎瞬変わるともいえる。

更にいうと過去も未来も現在も、すべて今この瞬間にあるって考えると凄くないですか?

いやいや、過去があるから今があるわけで…と思うかもしれないですが、それって記憶ですよね。

そしてその記憶って、思考して思い出していることなので、今現在やってるって話にもなりますよねw

あれ?過去もここにあるわwってなっちゃうんですよ。

んで未来ですが、未来と言われてるのも今なんですよね。

今この文章を読んでいるのが未来とも言える。

現在、過去、未来。これって言葉の概念だけじゃね?って最近感じるんですよねw

 

年取るじゃん。ってなりますが、これはこの世界のゲームルールなだけなんですよね。

生まれて、生きて、死ぬ。

といいますが、

ゲームスタート、プレイ中、クリア。

と言い換えた方が分かりやすいかもです。

ま、そもそもクリアという概念はないかもね。

私達は好んでこの世界を作り、そして体験して元に戻るを繰り返している。

この世界に生き延びるためには〜みたいなマニュアルが欲しくなって記憶する手段に出たのかなw

しかしその記憶で自らを縛ってしまってる感覚もあるんですよね。

記憶は記憶でしかない。

それを活かすのではなく、あん時はそうだったぐらいのものにした方が良いと思いますよ。

だって、今この瞬間でないと同じ結果になるとは誰も言えないからね。

前に振られたけどダメ押しでもう一度告白したらokが出た!という話もあるぐらいですし。

過去に囚われてないで、今を生きること。

これが楽しくなるんではないかと思います。

 

 

ではでは!