gorod’s diary

楽天ブログに過去記事あります

ふと思ったことをつらつらと。

この世界が一体どういうものなのか?
たくさんの人達が書籍やら動画やらで語られているが、本質なところは同じである。

ただ、人によって解き方が違うので、出発地点から終点までの行き方に誤差が生じてるだけのこと。
とある方の言葉を借りると
「盲目の目でたくさんの人がゾウを触っている。Aさんは、ゾウとは鼻が長い動物であると。Bさんは、いやいや、ゾウとは皮膚がゴツゴツしてるんだよと。Cさんは、パゥオーンと鳴くのがゾウであると」
内容は違えど、本質は同じなのである。

その本質とは何か?なんだけど。
「見えている現実は、あなたの心が創り出した映像である」
ということ。

現実は誰かが作ったものではなく、自分自身が創り出している。
強く思ったものほど、より鮮明に。そしてより体験出来る…といった舞台なのだ。

強く思うこととは何だろうか?
それは無意識下に置いて大事に持っている価値観であろう。

じゃあ、私とはどういった価値観を持っているのか?
これは、私がどういったことで反応するか?で見つけることが可能だ。

例えば、年収いくらとか。
どんな職業なのかとか。
地位とか。
年齢は?
何が出来る?何が出来ない?
時間が大切。
約束は守る。
これが正義。これが悪。
これはしていい。これはダメ。

たくさんの事柄があるが、これらはすべて価値観を持って成立するものばかり。
価値観を持って生きるとは、どういった体験が得られるのだろう?といったシンプルな考え方をすると、私は永遠とこれを繰り返しているだけに過ぎないと感じるようになった。

繰り返し…維持の状態から破壊へ。
価値観を握ると、私はその反応を繰り返しやり続けることが分かる。
そして、感情の起伏が大きい。
その大きさに圧倒されるために、今度は安定を求め始める。
その安定こそが、更なる自分を拘束するものだとは知らずに…。
完全なる脳の…自我の奴隷となるのだ。
この状態を破壊するには、価値観の洗い出しをしてみる。
大小関係なしに。

価値観を洗い出すためには。
一番有効な方法は、他人から得ることだ。
見えている他人がどのように見えるか?
こうした方がいいと感じるなら、その人に伝えるのもいいが、自分で率先して行動することが何よりも効果的だったりする。
例えば、干渉しない。
干渉したくなければ、思ったことを人に押し付けるのではなく、自分で行動すること。
あ。これは干渉だな。と感じる出来事が生じれば、自分はそれをしないと意識する。
それとは別に、助けを求められたなら、喜んで自分の出来る範囲で助ける。
人のことは気にしない。
気にする部分というのは、持っている価値観が影響していると気付く。
これだけでも大きな一歩である。

価値観を捨て始めて感じたこと。
それはすべてが出来事でしかなかったと気付く瞬間。
自我の解放。
そして、所有欲からの解放。
物質な考え方から精神な考え方へ。
求める心というのは、所有欲の考え方だったと。

今までの体験を通して、たくさんの人達に出会えたことへ感謝します。
私のやりたかったことは、所有欲の気付きだったのかもしれません。
所有欲とはどういうものなのか?
所有欲というのは、他人を愛するものではありませんでした。
他人を傷付け、陥れ、残忍な心が作られることが分かりました。
地球…テラを苦しめ、人々を苦しめ、そして自分を苦しめる。
それだけでした。

学校という体験で得たもの。
自分自身でいることの大切さでした。
最初はいじめもありましたが、それでも自分自身をそのままでいることで、どんどんと周りが変わり始めていき学校生活が楽しかったのを思い出しました。

会社という体験で得たもの。
所有欲が更に増大してしまう結果となりました。
この場は弱肉強食であったと。
学校以上にキツい環境…ということは、それ程までに自分達の立ち位置を必要以上に求めていたのではないかと。
…お金も絡んでくると、人々は更に荒々しくなっていくものだと痛感しました。

今後は?
会社という体験を通して、所有欲が増大してしまったために、所有欲をなくしていく方向へ進めていきたいと思います。
自我の観察。想念観察。
価値観の洗い出し、そして価値観の放棄。
すべてをニュートラルにすることです。
真実の愛を。
真実の尊敬を。感謝を。
自分の内に秘める愛情を、もう一度、学生時代に還ること。
それを大きな目標として人生を歩んでいこうかと思います。


ではでは!