前回こんな記事を書いた。
結局、この世界は自作自演で動いていると感じる - gorod’s diary
で、このキッカケから毎日書くようにすることを意識し始めました。
書いてて思うのですが。
何故?
という疑問がたくさん出てきます。
それもかなりの数がw
何故、こう思っているのか?
何故、こうであればならないのか?
何故、こうなったのか?
何故、このような出来事に発展したのか?
これだけでも少ないですが、モリモリ出てくるんですね。何故?という疑問が。
この何故?と湧き上がってくることも視点をずらしてみることで、意固地になっている自分が見えて来るんですよ。
何に対してそんなにも怯えているの?
とも思えて来るんですね。
怯える原因はすべて執着心が働いているのでは?と感じることが多々あるんですね。
これが変化の流れに逆らい、維持をし続ける行為かなと思いました。
もしこれが相手がいると仮定すると。
相手としては気持ちがもうない状態だとします。
しかしこちらは「まだ大丈夫!」と思っているので、その思いを相手へ一方的に押し付ける形になります。
そうすることで、どんどんと関係が歪になって来る…そんな感じでしょうか。
本当の安定とはなんなのか?
それは変化を楽しむことではないのか?と。
四季や天気の変化もあるように。
人の心も周りも変化していきます。
その変化することに怯え、そして執着する。
これを反転すると、変化するものなんだから私も変わろう!切り替えよう!となる。
他人や周りを変えることは出来ません。
四季をずっと春に出来ないのと同様に。
であれば、シンプルに考えれば自分が変わることが1番簡単なんです。
自分を変えるって何を変えたら良いのか?
・こうあるべき
・こうである
といった思考癖を辞めることではないのかなと。
思考を確定してしまうと、どんどんと自分自身の中に檻を作ることにも繋がります。
それは自分なりのルールが作られていくからでは?と思います。
そしてそのルールが我慢の1つに発展していく…。
我慢と気付かない場合、それは人に強要するようになる。
出来ない人に文句を言うようになる。
これが我慢のメカニズムなのかなと。
ストレスにも繋がりますね。
なので、何に我慢をしているのか?
何故、我慢しているのか?
やっていて(継続してて)それは楽しいのか?
をしっかりと考える時間は必要だなと思いました。
ノートにびっしりと書いた内容。
読み返しては、更に無意識を意識に変えるという使い方も出来るようです。
自分を知るキッカケにもなるので。
是非やってみて下さい^ ^
ではでは!